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1.ご挨拶 ・・・・・・・・・・ 籏谷 嘉辰
令和6年は国内で大惨事が立て続けに起きています。被災地の皆様には何とか復興に向けて頑張っていただきたいと思います。戸山流から少額ながら義援金をお送りいたしました。
コロナ騒ぎも落ち着いて武道の世界も例年並みに落ち着いてきました。刀剣商をやっているおかげで他流派の動きも伝わってきます。研磨、拵えの修理、等々、動きが活発になっています。去年は香港に立ち寄って二道場で稽古をしてきましたが、去年の香港大会より会員が増えているのに驚きました。特に若い人たちが増えています。日本から見れば羨ましい限りです。
残念ながら日本の会員は頭打ちです。何とか魅力のある戸山流になり若い会員を増やしたいと思います。皆さんのお知恵と努力に期待して困難な日本の抜刀界を盛り上げていきたいと思っております。
理事長 籏谷喜辰
2.鎌倉支部紹介 ・・・・・・・日置 嘉龍
我が会は質実剛健をモットーに武道を掘り下げ、只巻き藁を斬るのではなくいかに刀を使い武士道という道を究めるかを大事にしている会である。
剣術とは剣道で足の運び体の使い方を学び、居合で刀の扱い方を身につけ、抜刀で刃筋の通し方を会得する。しかし終戦後アメリカのGHQが剣術に恐怖心を持ち、剣道、居合、抜刀を一緒に学ぶ事を禁じてしまった。故に剣道はスポーツに、居合は只刀を抜き差しするだけのものになり、抜刀は巻き藁をぶった切るだけになってしまった。これを憂い本来の武道に戻したのが籏谷先生である。私共鎌倉誠斬会は私を含め約半数の会員が夢双直伝英信流有段者なので、その技術に籏谷先生の戸山流を加え本来の武道に近づけたいと日々精進しているのである。
本来、武術とは敵を倒す為の技を修行するのであるが、抜刀で只藁をぶった切るだけでは、技でも何でもない。戸山流を武道に戻したのが籏谷先生である。先生が作られてきた戸山流に古武道である、夢双直伝英信流を加味し、動きの中に緊張感と優雅さを織り交ぜ、緩急のある斬りを目指しているのが鎌倉誠斬会である。
この斬りの最終目的な姿としては、茶道の心得にある「重きを軽く、軽きを重く扱ふ味わいを知れ」の様な所作を強弱で表現しながら斬るという事である。 つまり難しい技を容易そうに、容易な技を難しそうに見せるという事である。
一例としては、水返しを二刀目の藁が落ちる前に急いで斬るのではなく、一刀目を斬って立ち残っているのを確認してから二刀目を斬る。 優雅な動きの中に鋭い刃筋を見せる事が鎌倉誠斬会の求めるところである。
3.令和五年 活動報告
- 1月29日 総会・第 1 回講習会・昇段審査
- 2月19日 香港 撃剣昇段審査
- 4月11日~17日 米国講習会、昇段審査
- 4月29日 靖国神社奉納演武
- 5月19日~20日 第2回講習会、昇段審査
- 5月21日 第 46 回全日本戸山流居合道連盟全国大会
- 5月28日 八王子流鏑馬
- 6月 4日 府中流鏑馬
- 7月 2日 香港 撃剣講習 7月
- 9月18日 第 3 回講習会、昇段審査、撃剣講習会
- 10月 7日 米国 NY 講習会・昇段審査
- 10月22日 町田時代祭
- 11月26日 香港大会・講習会・昇段審査
- 12月 3日 理事幹事会(町田)
3-1.武道と私・・・・・佐藤 博司
戸山流の門戸を叩いてはや、十年以上の時が経つ。その間に注いだ時間に対し、得た物をざっと挙げると肉体面では頑健な肉体、全身を連動させる操作技術、感覚の鋭さ、考え方の変化といったところだろうか。それ以外で言うと利益の絡まない老若男女との人間関係だろうか。
やはり初めは武術の腕を磨いて強くなることを求めていたのかもしれません。 しばらくして戸山流誠斬会の門戸を叩き、籏谷先生をはじめとして師範代、諸先輩方から多くの事を学び、武道とはかつての武士(もののふ)の道であり、それを少しでも知りたいと思って武道を続けているのだと今では考えるようになりました。
居合、抜刀の日々の鍛練はいうに及ばず、江戸時代の武士が書いた志塵通(現代風にいえば武士マニュアル)、武道初心集(『葉隠』とほぼ同時期に書かれた武士道書)や関係資料などから、武士とはこのような世界に生きていたのかと思いを馳せています。
武術とは別に、たまたま縁があって茶道や香道も学んでいましたが、戦国武将 細川幽斎も、“武士(もののふ)の 知らぬは恥ぞ 馬 茶の湯 はじより外に 恥はなきもの” と歌に残していることを知り、自分も武道に関わっているのだなとつくづく実感しています。
武術としての居合・抜刀の稽古も実に奥が深い。 剣体一致の境地にいつかは近づきたいと思って剣術・居合術の稽古をしているつもりなのですが、暗中模索の状態が続いています。
稽古を重ねるごとに、以前に指導を受けていたことがこういうことだったのかと気づかされ、今になってやっと修行の入り口に立てたのかと思えるほどです。
いままで斬れていた試斬りの技が、あれこれ試行錯誤しているうちに斬れなくなる。基本に立ち返って手の内や身体の繋がり感覚を見直す。 やがてまた斬れるようになる。 まさに糾える縄の如き修行の道です。
茶道の千利休の道歌を思い出します。
“稽古とは一より習い十を知り十よりかえるもとのその一”
ややもすると試斬だけが目立つきらいがありますが、形稽古を通して抜刀・納刀の基本、身体操作の拍子など術技を練ることも欠かせません。
形は実戦の雛形ではなく、形に内包される術理を学び気・体を練るためと思って形稽古をしていますが、これが難しい。 難しいが少しづつでも出来るようになってくると稽古することが楽しくなってきます。 動きがぎこちなければ、身体の中に衝突が生じ、それが気配となって表にでてくる。 いつかは、気配を消す動きができるようになりたいものです。
千利休も“なまるとは 手つづき早く又遅く ところどころのそろはぬをいふ”と詠んでいます。
武道をはじめとして茶道、香道など“道”とつく芸事は、稽古を深めていけばいくほど、いずれも根っこのところで共通するものがあるのだなと感じます。
私にとっての武道とは、人生を楽しく歩む“道”なのだと思います。
これからの日本を背負って立つ若者たちにも、日本の伝統文化である武道を学び継承してもらえることを願っています。
3-2.靖国奉納演武・・・・・伊藤剣士、後藤 敦
【 伊藤剣士 】
私は9年前の平成27年の九月の時に体調に異常が起こり、血尿が止まらなくなりました。近所の泌尿器科で超音波検査をしたところ、腎臓癌(左側)が見つかりました。そして、帝京大学病院で摘出手術して頂き、その手術は上手く行きました。しかし、合併症が起きてしまい、下半身に行く辺りの大動脈の血管の内側の壁が剥がれて血管の中を塞いでしまい、血流が下半身に行かなくなってしまいました。それが何時間も続いて経った後に容態が悪化して、両脚が壊死し始めていました。そのため右脚はほとんど切断され、また左脚も数ヶ所壊死した部分を切除されたり、大腸のS状結腸に穴が開いてしまってそこも切除され、また膀胱も麻痺したりと生死を彷徨いました。当然、車椅子の生活が始まりました。
一年半以上の入院生活をしてようやく退院出来たのですが、二つの事を目標にして腸閉塞になった時やリハビリ等に頑張って行きました。一つは仕事(接骨院)を、もう一つは剣術を必ずまた稽古する事を夢にしていました。自宅に戻り、ようやく剣術の稽古を再開できましたが、今までのような二本脚で立った姿勢で諸手で本差し(刀)を振っていたのが180度変わって、車椅子に座った姿勢で脇差しを片手で振らなければならなくなり非常に戸惑いました(何故なら逆袈裟-斬り上げを行う際、刀ですと地面にぶつかってしまうため)。でも、脇差しで左手・右手それぞれで素振りをしたり、一刀流中西派の型を学んだり、また試斬りも半巻きを脇差しで稽古したりなどして鍛えて行きました。
手術から8年後の令和五年四月に、久し振りに靖國神社の奉納演武に参加することができました。二本の大小をフットレストに乗せて固定して持って行く事は慣れていましたが、着替えの時に袴を履く事に難儀しました。
そして、奉納演武が始まり、最初は一枚巻きを本差しで左右の袈裟斬りを行いました。自分なりにスパッと斬ることが出来て、仲間から以前の伊藤さんの斬りと変わらないと後から褒めて頂いた時は感無量でした。
次に二本目の試斬りは、脇差しで半巻きを五段斬りでしたが、これも何とか斬ることができました。五刀目の右からの水平が最近まで中々出来なかったので、演武の時は思い切って行うようにしました。
私の演武はその二本だけでしたが、車椅子でも努力次第で試斬りも出来るという事を周りの方達に示すことができたのではないかと思います。また、どんなに体を造り替えられようとも魂さえ手放さなければ自分が自分である事に変わりはないという事を実感した経験にもなりました。
だまだ斬りも課題は多いですが、剣術や剣道を続けてきてとても良かったと思っています。生死を分かつような苦しい時に"下がらない”気持ちで治療に臨み、また稽古で自分を鍛え、演武を先生や仲間たちと一緒に行えたことは"武人の誇り”として光栄に思い、忘れません。
最後に、入院中にお見舞いや励ましなど応援してくださったたくさんの先生や仲間、外国の仲間の人たち皆さんに改めて感謝を申し上げます。これからも命ある限り稽古を続けて行こうと思います。
【 後藤 敦 】
毎年恒例、当たり前がそうではなくなった。日本だけでなく、世界中の人すべてに襲い掛かった厄災。変化は急激に訪れ、日常は様変わりした。それから数年。ようやく靖国神社の能舞台に立てる日が帰って来た。今年の演武はそのような状況での開催だった。
武者行列や演武内容が大きく変わった訳ではない。ただ、コロナでの断絶後のはじめての再開かつ自身が主要担当として関わるという点で、ここまでとは心持ちや視点が変わっていた。演武プログラムの構成、袈裟斬りから始まり、最終の土壇への流れに誰を当てはめていくのか。どう設営し、撤収へと繋げていくか。自身の演武よりも全体の流れに重点が行く。これは新鮮な経験だった。
その中で成功して当然な自身の演目には得意な「波返し」「達磨落とし」を設定。これらは自分の中で動作の自動化が済んでいるので、意識のスイッチを入れるだけで体が自然と動くため、うまく斬ろうなどの雑念が入らず成功率が高い。実際に特に緊張も無く成功している。久方ぶりに観て頂いた同神社に眠る兄弟子の方々にも安心して貰えたのでは無いだろうか。
思えば、初の演武は靖国神社だったと記憶している。その時は自分がどう斬ったかの記憶が無く、兄弟子に自分がうまく斬れていたかを確認したものだった。それが今では他のことに注意を向けられる程になっている。確実に成長しているし、ここから更にもっと上達して来年も兄弟子たちに観てもらえることを願っている。
これから先、何が起こるか神ならぬ身としては見通すことはできない。それでも稽古を通じて得たものが消えることは無い。より高みを目指し、来年はどんな自分になっているか、なりたいか。気負わず、でもしっかり前を向いて走り、歩き、時には休んでこれからも生きて行く。そんなことを考えています。
3-3.第46回全日本戸山流居合道連盟全国大会・・・・安部 満理奈、佐藤 辰美
【 全国大会を通して ~継続は力なり~ 安部 満理奈 】
コロナの影響で昨年度は小規模な大会となっていたが、コロナも落ち着き今年度は大規模な大会となった。天気にも恵まれ、国内外から多くの剣士が集まり活気のある大会であった。
私事ではあるが、気付けば今年で戸山流も5年目。はじめての大会ではすべてが初戦敗退であった。また同年に機会に恵まれフロリダ大会、香港大会と続けて参加したがどちらも入賞することなく初戦または二回戦にて敗退であった。戸山流を続ける中で、いつも海外勢の日々の稽古やセミナーへ態度から、武道に対してとても真面目に、真摯に取り組んでいると感じるとともに、日本人である自分の未熟さを感じてきた。特に私は「形」が大嫌いであった。しかし、海外の方々と交流する中で自分は本部道場の人間であるのに「形」を軽んじて、しっかりと鍛錬をしないのは恥だと感じるようになった。それから数年、自分なり「形」に向きあい一所懸命に練習を重ねてきた。もちろん試し斬りや撃剣も一緒に妥協せずに続けていた。演武などでも「形」を任せて頂ける機会が増えるなか、本当に自分は上達しているか?という疑問も同時にあったが、籏谷先生や先輩方の教えに従い日々稽古を行った。
そして、来るべき全国大会。私は2・3段の形の部で優勝することができた。優勝した時には、最初何故自分が勝ったのか、何か起きたのか全く分からなかった。正直初戦から何故自分が勝てたかわからぬまま勝ち進んだのは否めない。しかし、優勝をして沢山の人から自分の「形」を褒めて頂き、初めて実感が沸き、今まで努力してきたのは無駄ではなかったのだと感じた。それと同時に、優勝したことを一緒に喜んでくれる仲間がたくさんいることに本当に感謝をした。
また組太刀の部門では今年も佐藤さんと組ませていただき、惜しくも優勝は逃したものの、2位に入賞することができた。昨年度は優勝したが、今年度は2位だったことから新たな課題も見つかり、もっと頑張ろうと思うことができた。また組太刀は優勝、2位ともに女性陣が独占した。まだまだ女性剣士の人口は少ないが、今回の大会では多くの女性剣士が活躍した。同性のライバル、仲間がいることは自分にとってもとても刺激になる。
今回優勝、準優勝とすることができたが結果に驕らず、今後も継続して日々努力していこうと思う。改めて、いつもご指導してくださる籏谷先生や先輩方、国内外の仲間に感謝申し上げます。
【 全日本戸山流居合道連盟第46回全国大会 佐藤 里香 】
5月21日に全日本戸山流居合道連盟第46回全国大会が国内外から100名程の剣士が参加し、東京都町田市にて行われました。
久しぶりの全国大会であり、日本全国だけでなくアメリカや台湾や香港など各地から多くの剣士が集い試し斬り、形、組太刀、撃剣で競い合いました。
私達のチームは組太刀で香港チームに僅差で敗れ、惜しくも準優勝でした。3位はアメリカチーム。海外剣士の皆様のレベルに圧倒されました。また私達を含めた組太刀の優勝、準優勝ペアは女性。男性だけでなく日本国内外で女性剣士が力を発揮していることを嬉しく思います。その中でも、町田誠斬会のメンバーも健闘致しました。それぞれが自分の力を発揮し合うことができました。
今回準備や運営など大会関係者の全ての皆様に感謝致します。皆さん、又来年大会でお会いしましょう。
【 第46回戸山流居合道連盟全国大会 大会成績 】
・形の部
初段以下
優勝 吳家布
準優勝 鄭詠心
三位 蔡璧而
2段・3段
優勝 安部 満理奈
準優勝 古俊文
三位 梁 豪邦
4段以上
優勝 陳廣隆
準優勝 カーンス・ハリー
三位 山田 孝一
・斬りの部
初段以下
優勝 伊藤 仁
準優勝 蔡璧而
三位 李俊言
2段・3段
優勝 横山 和享
準優勝 村木 津三郎
三位 陳雅洛
4段以上
優勝 後藤 敦
準優勝 Adrian Demoret
三位 三角 恭兵
・小太刀の部
優勝 斉藤 謙
準優勝 大岩 勇人
三位 三角 恭平
・撃剣の部
優勝 村木 津三郎
準優勝 酒井 宇
三位 後藤 敦
・組太刀の部
優勝 陳雅洛(打太刀) 蔡璧而(仕太刀)
準優勝 佐藤 辰美(打太刀) 安部 満理奈(仕太刀)
三位 ハリーカーンス(打太刀) Nelson Pecora(仕太刀)
・団体戦の部
優勝 先方 長野 宏治・中堅 浅海 修・大将 三角 恭兵
準優勝 先方 三入 俊之・中堅 磯沼 孝・大将 紫村 健治
三位 先方 村山 英夫・中堅 カーンス・ハリー・大将 鈴木 信太郎
・土壇の部
優勝 LAI KWAN NGAI STANLEY
準優勝 Zachary Rial
三位 鎌田 尚
四位 斉藤 謙
五位 TANG Kwan Yue
3-4.令和5年講習会・戸山流昇段審査・・・・土屋 ジョー
「昇段審査と名誉欲についての考察」・・・キックボクシング世界チャンピオンの全日本戸山流居合道連盟三段 土屋ジョー
私の人生での最初の居合道昇段システムとの出会いは、コロナ禍直前の2019年末の全剣連居合道への入門でした。全剣連居合道に入門する時に、「私は、昇級や昇段には興味ないですが、技を色々習いたいです」という言い分で入門させて頂きました。私は、既にキックボクシングの世界チャンピオンになるまで頑張ったので、またもう一度、級とか段とか上っていくのは嫌だと思ってしまったのです。日本人として、居合道や剣術を、浅く広く習得してみたいと考えていましたので、昇段システムには巻き込まれたくないとも思ったのです。
しかし、、、昇級試験と関係のない私は、形だけでも色々な技を習いたいのに「全剣連居合道の形一本目」しか習えない日々が続きました。もちろん、最初の技が完璧になるまで、次の技に進んでもダメだとはわかっていましたが、さっさと全ての色々な技を習ってみたかったのです。そして、閃いたのです。周りの人達の昇級審査が近づいた時、「やっぱり私も、級が欲しいです」と言って、級審査既定の技まで一気に数種類がスピードで習える事を発見したのです。そして、一気に数個の技を真似事レベルですが覚えて、いざ、級を取得すると、昇段審査の為に、更に沢山の技が習えるので段が欲しくなりました(笑)
そうしたらですね、、、いざ初段を取得してみると、やはり、名誉欲が満たされてとても嬉しくなるのです(笑)その後、実際に真剣日本刀で斬る実戦に興味が出て、2021年に、東京都町田市にある、全日本戸山流居合道連盟の総本部道場の籏谷先生に出会いました。全日本戸山流居合道連盟の審査は、戸山流の形、真剣試し斬り、更に、撃剣術という、実際の対人戦があり、三点セット方式です。見学や、参加を重ねていくうちに、戸山流の、形、真剣試し斬り、実戦撃剣術の三点セットの修行に引き込まれて行きました。そして、実戦稽古の時などの籏谷先生にも引き込まれて行きましたが、その凄い理由は撃剣稽古の時に直接会った人にしか話してあげていません。(笑)ですから、東京都町田市にある、全日本戸山流居合道連盟の総本部道場に入門して、私と直接会って、是非一緒に撃剣稽古して、その他諸々の武道談義しましょう!
今現在、昇段システムの波に乗って、なんと、全日本戸山流居合道三段になっています(嬉)。更に4段を目指し、キックボクシング世界チャンピオンであり、且つ、全日本戸山流居合道連盟4段になり、名誉欲を満たしたいです。(笑)そして、総論として何事も、「継続は力なり」です。
以上
3-5.令和5年度誠斬会昇段審査・・・清水剣士
私は入門4年目の初段を目指す老年剣士です。
過去3年間の経験から戸山流誠斬会とは原理主義的抜刀武道集団であると認識しております。国籍年齢性別関係なし、先人の技を継承し、武人として強く正しく美しく斬る武術の体得を目指して、会員は皆、道場で、日々自宅で稽古に精進しています。
会は武道社会でありその規範として厳しい稽古、段位制度、昇格基準を持っております。 、ゆえに現状に飽き足らぬ剣道や居合道、各種武道の経験者高段位者が、出会った誠斬会にずっぽりはまり、長年にわたり邁進する人が多いというのは当然の帰結といえましょう。
その中心規範となる段位ですが、誠斬会の昇段基準たるや生半可なものではありません。 あえて審査会場の異常な雰囲気を作り、稽古で培った腕前を、武人の平常心をもって披露してみろと要求してきています。基準レベルの高さから、平均的にみて、初段合格に3-4年かかるのは当たり前という世界の様です。
さて、令和5年秋の昇段審査は画期的でした。誠斬会鎌倉支部から一挙に二人の”5段”剣士が誕生いたしました。5段といえば本部師範代級の高段位で私から見れば雲の上の存在です。じっくりたたき上げて16年新関剣士、図抜けたセンスで駆け上って5年8か月三角剣士のお二人が規定通り見事に斬り、そろって合格という快挙でした。おめでとうございます。
この全くタイプの違う(ように見える)お二人を5段に押し上げた日置師範の指導法・稽古法、ご両人の自己研鑽法には何かある、大変なお宝があるだろうと見ております。
預
新関剣士 入門16年 |
日置師範 鎌倉支部 |
三角剣士 入門5年8か月 |
私を含め誠斬会の老若男女会員は今後とも段位審査合格を自己実現の場として、抜刀道人生のマイルストーンとして、武道という高みを目指す足掛かりとして後期高齢者の最後のあがきとして、立ち向かってゆくことでしょう。
以上
3-6.第9回府中流鏑馬・・・天野翔太
2023年6月4日、4年振りに大國魂神社で府中流鏑馬が開催されました。
4年振りということもあり、武者行列や抜刀などはなく、四半的弓道と流鏑馬のみ行われました。大國魂神社のロケーションは素晴らしいですが、馬場上が狭く、鳥居を避けて出なくてはならず、止まりの距離も短いため、難しい場所です。馬達も4年前とは変わっており、より気を付けなければなりません。
結果は籏谷先生が最多的中者、私天野が2位でした。天気にも恵まれ、事故や怪我もなく、良い御奉納ができました。
私が初めて流鏑馬を見たのが2010年の第1回町田時代祭りで、そこで初めて戸山流流鏑馬の存在を知り、格好良いなあ、と思い入門させて頂きました。そして初陣したのが、2012年の第1回府中流鏑馬でしたので、私の中では長く続けていることだと実感します。
初陣ではつがえが間に合わず、悔しい思いをしましたが、それを糧に稽古に励み、先生方、先輩方のご指導のおかげで、第2回では初めて最多的中者になることができました。大國魂神社は相性が良いのか、その後も数回最多的中者となることができました。
最近は稽古不足がたたって、遠のいていますが、今後も精進していきたいと思います。新しい門人も増え、メキメキ上達しているので負けてはいられません。
3-7.町田時代祭・・・・村上剣士、鈴木 信太郎、北山
【 村上 史子 】
初めて町田時代祭を見たのは一年前になります。その時はまだ誠斬会に入会するとは思っていませんでした。
自分は他流派の居合会に所属しているのですが、なかなか試斬をする機会も少なくて稽古が足りないなと思っていました。外山流の斬りには興味があり、確か昨年あたりに一度体験をさせていただきました。
自分には難しいかも知れない、新しく刀も買わなきゃ、習いに行く時間は作れるのだろうかと心のブレーキがかかってモヤモヤしておりました。
町田時代祭のスケジュールは同門で誠斬会に入会されている人生の先輩方から教えていただき、その日程の2時間くらいはなんとか時間が作れたのでこれは行くしかないと地図を見ながら芹が谷公園に向かいました。公園は想像よりかなり広くてたくさんの人達が会場に進んで行き、その広さにも驚きました。流鏑馬もやるのだから規模は大きいのかな?凄そうだなとワクワクしながら観覧場所を探しましたがこれだけの人がいて無料で見るのは贅沢すぎると思いました。各流派の武術の演武や甲冑を着用している方々を見たり出来たのは驚きでした。そして外山流の試斬りの準備が進み紋付を着た方々が試斬台をセットしていくのを目で追っていきます。剣士の方々の刀もたくさん見れて、斬った後には観客席からは『凄いねー』とか『うわ、本物の刀だよ』とか色んな声が聞こえてきます。私もこれは凄いのが見れて良かったなと思いながら見ていくと、技斬りの名前を紹介しながらその斬りを見ることが出来ました。技斬りは自分が所属してる流派では見たこともないので達人技とはこういうもので、その技に対してどれだけたくさんの時間を稽古してきたのだろうかと思ったりしながら、もし自分も人前で斬れるくらいになれたら楽しいだろうな、きっと無理だけど。と思いながらカメラを撮っていました。
そして、心の中で諦めながらも、もし藁を斬れたら?という頭中でこの文字が浮かんで半年ほど悩むことになります。刀も用意しなければならないし色々簡単にできるともわからない。まあ、いつかできれば良いなくらいの気持ちも同時にありましたが、外山流に入門されている人生の先輩方に迷っているところを引っ張っていただき入会のところへ導いていただきました。受け入れてくださった籏谷先生にも感謝です。入会したのは8月の真夏の頃。刀をどうしようかと考えていた時にsさんから譲ってもらえたりと数ヶ月悩んでいた事もクリアして急に流れに乗ったような感じになりました。
9月になり、町田時代祭のお話が出て、先輩方が出るんだ、裏でお手伝いができるんだと思いそれを楽しみにしており、武者行列の際に馬も一緒に練り歩くのか。何の手伝いが出来るのかを想像していました。
ですが、他流派にも所属してる自分は果たしてその時代祭の日に参加できるのだろうかという心配があり、稽古日程が被ってしまったら残念ながら前日の準備しかお手伝い出来ないと思っていたのですが、その日は所属流派で稽古場所が取れなかったのでお休みになり、これは丸一日お祭りに関われる事と、タイミングが上手く合えた事に驚きました。
そこからは手伝いはもちろんの事ですが、袈裟斬りで演武に出させてもらえる事となり急いで紋付を注文いたしました。
その時期に知ったのですが、海外にも支部があり、多くの外国の方々も外山流を学んでいてお祭りの日程近くにアメリカ、香港からもたくさんの方々がいらして、こんなに日本の文化が海外にも受け入れられているんだと感動しました。
時代祭の当日は、甲冑の着付け、足軽の着付けなどを手伝うことも出来、しかもその数の多さに圧倒されたのと同時に、とても勉強になりました。
着付けの手伝いが完了すると、いよいよ武者行列で町田駅方面に向けて出発とともに観客の数も多い事、後ろには馬もいるし本当にタイムスリップしたような錯覚になり、街を抜けて会場の公園に向かっていく途中は緑が深い自然の多い為か、益々現代じゃないような雰囲気に変わっていきました。
会場に着くと去年自分が見ていた場所が反転して、外にいた自分が内側にいるのが不思議でたまりません。
間近で先輩方の斬りも見れた上に流鏑馬も間近で見れた事は本当に貴重な経験でした。
【 鈴木 信太郎 】
去る10月22日日曜日、町田市は芹ヶ谷公園にて町田時代祭2023が開催されました。渡航制限の解除や催事・外出自粛ムードもほとんどない中、コロナ禍前の2019年と遜色ない参加・観客数でした。当日、自分は演武会場設営メインでしたので武者行列には参加していませんでしたが、沿道観客も多く来ていただけたとのことです。
我々がメインとする試斬演武はと申しますと、後に流鏑馬で使用する的(一の的、二の的)付近の二か所に分かれて行いました。立ち止まって行う演武の為どうしても動きが小さく、例年は盛り上げにかけてしまいがちでしたが,一の的付近にてお酒を嗜めていた方々に率先して盛り上げて頂き、大盛況のうちに終了することができました。(来年からサクラ仕込んだ方が良いかもしれません 笑)
反省点として、演武参加者が去年の二倍近くいたことから、半分程の演武者が1種目のみの参加となってしまい、失敗した方には面白くない結果となった面があります。ただし、藁の確保、演武時間等の兼ね合いでなかなか厳しい面もありますので、来年以降への宿題です。
総合すればイベント全体でケガ人や大きな混乱もなく、無事に終了することが出来ました。来年開催の際は皆様のご助力賜りたく、よろしくお願いいたします。
【 北山 】
10月22日芹が谷公園で開催された町田時代祭りにも射手として参加させて頂きました。5月28日の八王子流鏑馬での念願の初陣、6月4日の府中流鏑馬に続き、今年3度目の流鏑馬です。
本番の馬装をした剣宝と風雅。戸山流弓馬会の宝です。今年3回の流鏑馬すべてに出場しました。彼らのおかげで日頃の稽古ができ、稽古ができるから流鏑馬を披露することができます。
当日はお天気に恵まれ、時代行列のコース沿道や会場の芹が谷公園は沢山の観覧客で賑わっていました。今年は有料観覧席の設置、扇舞や母衣の披露、甲冑組の編成など複数の試みがある中、体調不良による籏谷先生の不参加という不測の事態が発生、緊張した雰囲気で流鏑馬が始まりました。
一の組は天野さん、本田さん、窪田さん、坂本さん。なんと一走目で全員全的中!張りつめていた空気が一気にほぐれ、みんな笑顔に変わります。
二の組は清川さん、鈴木さん、北山、里奈さん。ついに私も出番です。緊張でガチガチでしたが、一の組が作ってくれた勢いに背を押されて走り出します。あれこれ考える余裕はありませんでしたが、体が動くまま二走、4本の矢を放ちました。以前から「本番の剣宝は速い!」と聞いてはいましたが、その速さは思っていた以上でした。
三の組は松澤さん、松下さん、住田さんからなる甲冑組。重く動きが制限される甲冑を身につけての流鏑馬は難易度がぐっと上がります。勇ましい姿に、観覧客からは大きな歓声が上がっていました。
決勝は天野さん、窪田さん、北山、坂本さん、松澤さの5名。去年、諸役として町田時代祭りに参加し、籏谷先生、兄弟子、姉弟子の姿に憧れた流鏑馬の「射手」。今年、その決勝で最多的中者となれたことは感無量でした。板的が割れたときのあの音と手ごたえは今もしっかり残っています。。
射手としてこのような経験ができたのは支えてくださった沢山の方々のお力のおかげです。只々、感謝しかありません。稽古を重ね、技術を磨き、良い流鏑馬をすることでご恩返しできるようこれからも日々精進して参ります。
最後に、空から見てくださっていた榊先生へ
「次はあなたの番です。期待しています。」昨年の町田時代祭りの後に先生が下さったこの言葉にお応えできる射手を目指して、これからも稽古に励んでまいります。
心からの敬意と感謝を込めて 合掌
3-8.海外活動
【 歌を詠む ~アメリカ講習~・・・日置 嘉流】
会場に 響きわたるは 斬六段 | |
戸山流 気分は皆 異国武士 | |
水返し 刃音鋭く 我が安寿 | |
ニューヨーク 日本人より まじ侍 | |
袈裟斬りの 美し角度 しじゅうごど | |
試し斬り 首も畳も 同じ的 | |
講習会 フロリダの空 晴れ渡り |
【 2023年アメリカ講習会、昇段審査 報告・・・鎌倉支部 浅海 修 】
昨年4月11日から18日にかけてニューヨークおよびフロリダで恒例の戸山流講習会及び昇段審査が行われました。日本から籏谷先生、日置さんと浅海の3名が派遣されました。一昨年フロリダにおいてボブ・エルダー氏のお別れ会の際に戸山流講習会を行いましたが、ニューヨークでの講習会はコロナ明け初めての講習会となりました。
4月11日朝にニューヨークに到着、歓迎食事会の後、夕刻よりザック道場で戸山流講習会及び誠斬会昇段審査。12日も夕刻より新しくなったダン道場で戸山流講習会・昇段審査及び誠斬会昇段審査も行い最後に盛大な歓迎会を行っていただきました。両日の講習会参加者数は延べ48名、昇段審査受験者6名、誠斬会昇段審査受験者10名となっており大変盛況でした。13日にも歓迎昼食会を開いていただき午後の飛行機でフロリダのオーランドに移動しました。
フロリダではこれも恒例の事になっていますがMike Soriero・じゅん子夫妻のお宅に宿泊させていただきました。ご夫妻は此の度広大な敷地にお宅を新築され、我々を歓迎してくださいました。自然あふれる庭には猪・ワニ・ナベ鶴などか訪れるとのことです。14日休息日というか、トムスミス氏等がMikeさん宅に集合してShootingやホームパーティで歓迎してくださいました。ただし先生は十数本の刀を研がされていました。15日16日に講習会昇・段審査及び誠斬会昇段審査が行われ、最後にここでも盛大な歓迎会を行っていただきました。いつもの事ですがフロリダの講習会は2日間朝から晩までみっちり行われます。両日の講習会参加者数は延べ80名、昇段審査受験者18名、誠斬会昇段審査受験者6名となっておりこちらも大変盛況でした。
17日早朝にフロリダを発って18日に帰国しました。あわただい点もありましたが非常に充実した講習会・昇段審査が実施できたと思います。最後に主催に携われた諸氏の尽力に感謝します。
【 第16回香港大会・・・住田 嘉興 】
2023年11月23日~11月27日まで第16回香港大会に参加してきました。参加者は籏谷先生・日置先生・成田さん・ハリーさん・村上さん・鶴田さん・ミゲルさん・住田です。香港は日本よりも南に位置していますので暖かいかと思っていましたが、日本と同じ位の気温で寒かったのが意外でした。香港には夕方に到着したため、当日はディナーのみで、アヒルの美味しいレストランに案内されました。
翌日は観光の日です。朝はおいしい飲茶を楽しんだ後、ロープウェイで大仏見学・ショッピング・ビクトリアピークを巡り、ディナーを楽しみました。毎回香港のメンバーが案内してくれたり、ディナーに来てくれました。
セミナー及び大会は香港空港からほど近い「青衣」という場所で開催され、初めてのエリアでした。香港では、大会を実施する場所の確保が難しいようで、毎回実施場所については苦労していると聞きました。会場手配、感謝します。セミナーは約100名、大会は約70名の剣士が参加しました。日本と香港の違いは、撃剣で女子の部と団体戦があること、段外の部(初段よりも下の部)などです。私は審判をしていましたが、日本からの参加者ではハリーさんが試し斬り四段以上の部、および形の部で優勝、ミゲルさんが試し斬り初段の部で優勝。村上さんが団体戦で3位と好成績を残しました。
大会の後は打ち上げです。毎回初めてのレストランに連れて行ってくれるので場所はわかりませんが、いつものように美味しいレストランでした。もちろんレストランでもお酒の注文はできますが、追加で香港メンバーがそれぞれお酒を持ちこんで多くのお酒がテーブルに並んでいましたが、あっという間になくなってしまいました。香港は若いメンバーが多いので飲み方も若いです。。。その後2次会で、香港で作っている香港ビールのバーで懇親を深めました。
翌日は帰国の日です。朝食は少しお高めの飲茶を楽しんで日本への帰国の途に就きました。
毎回思うことは、香港のメンバーは本当によくしてくれます。特にりょうさん・アロクさん(もしかしたら他のメンバーもですが)は毎日3時間睡眠で大会の準備や我々のアテンドをしてくれました。皆さんの頑張りがあったからこそ第16回香港大会が成功したと思います。おめでとうございました。
次回は日本での大会です。大勢のメンバーの参加をお待ちしております、そして楽しい時間を共有したいと思います。
【 香港大会・・・ハリー・カーンス 】
11月26日に5年ぶりに第16回戸山流居合道香港大会が開催されました。今回私は初めて香港大会に参加しました。 10代から50代まで100名を超える参加者があり、想像していたよりも大きな大会でした。 全日本戸山流居合道大会での通常イベントのほか、香港大会では女子試斬と撃剣、初心者試斬、チーム撃拳も実施されました。
私は香港会員の方々の戸山流での練習と競技に対する熱意と献身的な姿勢に感銘を受けました。この大会に出場した日本からのメンバーは、初段試斬、四段位試斬、形の三つで優勝、段体試斬で3位となって良い成績を納める事ができました。
最後に、香港会員の皆様の寛大なおもてなしと、私たちの香港滞在を楽しく思い出深いものにしてくれたことに感謝いたします。来年の全日本大会と香港大会でもまた沢山の香港のメンバー達と顔を合わせられることを願っております。
For the first time in five years, the 16th Hong Kong Toyama Ryu Iaido Tournament was held on November 26. This year was the first time for me to participant at the Hong Kong tournament and with over 100 participants ranging in age from teens to seniors, the tournament was larger than I had imagined it would be. Besides the regular events held at the All-Japan Toyama Ryu Iaido tournament, the Hong Kong tournament also had a women's division for both test cutting and gekken, as well as beginners test cutting, and team gekken.
I was impressed by the Hong Kong branch members' enthusiasm and dedication to training and competing in Toyama Ryu during both the tournament and the previous day’s seminar.
Members from Japan who competed in the tournament did very well, taking first place in shodan tameshigiri, yondan and above tameshigiri and kata, as well as a third place in team tameshigiri.
Finally, I would like to thank all the Hong Kong Members for their generous hospitality and making our stay in Hong Kong a fun and memorable one. I hope to see many of you again at next year's All Japan Tournament and Hong Kong tournament.
4.武学拾粋
共先心得の事
主人の共をした出先で、他所者と喧嘩を始める者があって相手を切り殺し、又は重傷を負わせなどし、相手の同僚がこちらの者を斬ろうとしたならば、喧嘩の事でこのような有様になりましたが、どのようにも相談でもって解決をはかるべきでしたのに、この場にて討ち果たしたならば、互いに主人のためになりませんので、私にお預けください。帰りましてからどのような相談にも応じましょう、と言って預かり帰り役人に連絡すべ
きである。
右のような事態で自分の同僚が負傷し、または、討たれ田後で、相手がその場を立ち退く様子ならば、相手を切り倒すべきである。先方の同僚がいて、預けてくれと言うときは、その者の姓名と相手の姓名を聞き届けた上で、それならばここで打ち留めるべきでありますが、お互いに主人のP雨ということもありますから預け置きまして、後ほど当方より相談に参りましょう。と念を入れて預け置き、立ち帰ってから、その事情を上司又は役人に連絡すべきである道中や共先で乱暴者や気違い、酒乱者などが、棒を振り回したり、または掴みかかったりしたならば、十分両方に怪我の無いように手に持った物を打ち落とし、からめ取るのが良い。刀や脇差を抜いてかかってくるときは、はっきり狂人であると確認して切り捨てても、侍一人残して後始末を取り計らうべきである。すべて刃物を持って乱暴する者を、苦心して負傷させて生け捕りにして、かえって武道上の不注意のように公の裁定でも、または、世間の評判にもなった者があることを、いくつか聞いている。心得て用心すべきである。
主人のお共先や途中で口論になり刃傷沙汰に及ぶか、乱暴者があるか、主人の行かれた座敷で事件が起こった様子ならば早速その屋敷に行くべきである。主人の行かれた座敷が騒がしいときは、そこまで行きたくても、先方で通さないものである。急用の事があるから是非主人にお会いしなければなりません。お座敷まで行きたく存じますが、それは無理押しになりますから、ここまで及びくださいますようにと言い、人数をまとめて返事を待ち、度々催促をして、さようにご返事が遅れては用が足せませんので、御免こうむっていかせてもらいますなどと言って、先方の様子をうかがい、時と場合によって行動すべきである。
具足着初之事
昔は武士の男子が十歳以上になった時は、兵学の師か親代わりの人、又は武勇の誇りのある人を頼んで具足の着初を祝ったものである。今の世は、多くがそのようなことをしないですますので、古い例を知っている人が少なくなっているにつけて、今度は様々な礼学者や兵学者などがこじつけをして、格式の高い作法のように伝授するので、いよいよ人々はむつかしいことと思って、行う者が少なくなった。これは大いにその趣旨を見失ったからではないか。古今の作法をしたう人は、努めて簡単な作法が良い。次にその作法をあげる。
吉い日を選び座敷を清め、床の間に酒を捧げ、その傍らに具足を飾る。師匠の者、礼服で着座する。着初めの者も又礼服で下座に着く。手伝い人もこれと同じ。師匠から会釈があったならば立って具足を飾ってある前に行き、着初める。方角は歳徳の方へ向くと言うけれども、北に向くことは無い。着方は常と変わらない。六具に身を固め終わって力足を踏むとき、師匠から詞をかけられることが有ったら、兜を脱ぎ高絣にかけ膝をつき爪先を立て両手を座に就きて承り、次に立って六具を脱いで置き、神前にお神酒を頂戴し終わる。
師匠に一礼して師より盃を受ける。肴は打飽、勝栗、昆布の三種を三宝にのせて出す。餅の雑煮である。少しもむつかしいことではない。昔の平侍はこの様であった。志のある武士は、この礼を再興すべきである。
あるいは軍神を迎えて祭り、香華や供物を供え、師匠も着初め人も手伝い人も共に三が日潔斎して、木姓、火姓、土姓の人は兜から着初め、金姓、水姓の人は胴から着始めること。雑煮、吸い物は共に上に上置きに、菜があれば蓋の上にあげて食う。これは菜を揚げ名を取ると言う。少しでも食い残すと、名を残すと言って嫌うなどとも言う。また、武法の典拠を東鑑に見える頼朝朝臣の鎧、着初を根拠として、多くのこじつけがしてある。頼朝朝臣は将軍の公達であるから、大名といえども僭越である。ましてや平侍では。
九字の事
中昔から、武具の製作に九字護身法や梵字などを持ちてこしらえることが有るが道理をわきまえている者のなすべきことではない。ことに九字などというものは、元来、仏教にもない。唐の道家の呪文を盗用して、愚か者をたぶらかす材料としたものである。「抱朴子の書物に書かれている」
また、梵字はインドに通用している文字で、我が国のイロハと同じで何も尊ぶ理由などない。
師匠に一礼して師より盃を受ける。肴は打飽、勝栗、昆布の三種を三宝にのせて出す。餅の雑煮である。少しもむつかしいことではない。昔の平侍はこの様であった。志のある武士は、この礼を再興すべきである。
こんな下らない習恨の起きた原因を考えてみると、大将の地位にある人が、兵卒の心を統一させるために、はかって貴くみえるようにした流例である。
戦国時代の人は極めて学問のある人が少なくて、僧侶でもなくては、ちょっとした文オのあるものもなかったから書物などを講義させ、また、物などを書かせてもらったのにつ原因して、僧侶たちは皆自分の教えだけに引き付けてこしらえあげたものである。じつに神社に住むネズミのようなものである。