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■ 目次
7.第3回講習会・昇段審査・撃剣 継続は力なり・・・・町田誠斬会 土屋ジョー剣士
8-1.町田時代まつりに初参加して・・・・・町田誠斬会 清水剣士
8-2.町田時代まつり2022・・・・・町田誠斬会 佐藤(博)剣士
8-3.町田時代まつりに参加して・・・・・戸山流弓馬会 本田 高義
1.ご挨拶 ・・・・・・・・・・ 籏谷 嘉辰
令和5年の戸山流機関誌を発行するにあたり一言ご挨拶いたします。
コロナ騒動が始まり三年目に入り、ようやく終息し始めました。日常生活が普通に戻りそうです。そうなると抜刀の方も忙しくなりそうです。海外の講習会が待っています。
アメリカ、スペイン、香港等、彼らが待っています。国内も例年通り5月の全国大会には海外から沢山の選手が参加します。
4月靖国神社ご奉納
6月大国魂神社ご奉納
10月赤城神社ご奉納 町田時代祭り
コロナ騒ぎで稽古が不十分等とは無いようにお願いいたします。
海外の新しい支部が数件発足しそうです。海外支部の見本となるように一層奮励努力を期待いたします。
理事長 籏谷喜辰
2.令和四年 活動報告
- 1月30日 総会・第1回講習会・昇段審査(町田)
- 4月 2日 講習会、昇段審査(米国NY、FL)
- 4月24日 靖国神社奉納演武
- 5月21日 第2回講習会・昇段審査(町田)
- 5月22日 第45回戸山流居合道連盟全国大会
- 6月 大國魂神社奉納演武 中止
- 6月 4日 米国、白虎館、前途館講習会焼夷弾審査
- 7月 香港昇段審査
- 8月 講習会、昇段審査(北京)
- 8月14日 米国NY支部講習会、昇段審査
- 9月18日 第3回講習会・昇段審査・撃剣講習会(町田)
- 10月23日 町田時代祭
- 11月27日 理事幹事会(町田)
- 12月 大会・講習会・昇段審査(香港)
- 令和5年1月29日 総会・第1回講習会・昇段審査(町田)
3.誠斬会鎌倉支部紹介 我、鎌倉誠斬会 ・・・・・・・日置 嘉龍
我が会は質実剛健をモットーに武道を掘り下げ、只巻き藁を斬るのではなくいかに刀を使い武士道という道を究めるかを大事にしている会である。
剣術とは剣道で足の運び体の使い方を学び、居合で刀の扱い方を身につけ、抜刀で刃筋の通し方を会得する。しかし終戦後アメリカのGHQが剣術に恐怖心を持ち、剣道、居合、抜刀を一緒に学ぶ事を禁じてしまった。故に剣道はスポーツに、居合は只刀を抜き差しするだけのものになり、抜刀は巻き藁をぶった切るだけになってしまった。これを憂い本来の武道に戻したのが籏谷先生である。私共鎌倉誠斬会は私を含め約半数の会員が夢双直伝英信流有段者なので、その技術に籏谷先生の戸山流を加え本来の武道に近づけたいと日々精進しているのである。
本来、武術とは敵を倒す為の技を修行するのであるが、抜刀で只藁をぶった切るだけでは、技でも何でもない。戸山流を武道に戻したのが籏谷先生である。先生が作られてきた戸山流に古武道である、夢双直伝英信流を加味し、動きの中に緊張感と優雅さを織り交ぜ、緩急のある斬りを目指しているのが鎌倉誠斬会である。
この斬りの最終目的な姿としては、茶道の心得にある「重きを軽く、軽きを重く扱ふ味わいを知れ」の様な所作を強弱で表現しながら斬るという事である。
つまり難しい技を容易そうに、容易な技を難しそうに見せるという事である。
一例としては、水返しを二刀目の藁が落ちる前に急いで斬るのではなく、一刀目を斬って立ち残っているのを確認してから二刀目を斬る。
優雅な動きの中に鋭い刃筋を見せる事が鎌倉誠斬会の求めるところである。
4.本部道場より
4-1.武道と私・・・・・町田誠斬会 後藤 敦
戸山流の門戸を叩いてはや、十年以上の時が経つ。その間に注いだ時間に対し、得た物をざっと挙げると肉体面では頑健な肉体、全身を連動させる操作技術、感覚の鋭さ、考え方の変化といったところだろうか。それ以外で言うと利益の絡まない老若男女との人間関係だろうか。
このように武道を続けたことで多くの物を得て、普通に生きていたら味わえない境地や経験をすることができた。ただ、まだまだ途上である。籏谷先生や兄弟子、過去の先達はもっと先を行っていて、私の知らない景色を見ている。当然、私もその光景を見てみたいと思う。先は遠く、果ては無い。行こうと思えば、はるか先にまで行けることは過去の達人たちが残した逸話が物語っている。
自分がどこまで行けるかは分からないが、続けていくことで近づくことはできると考えている。私に武道に対する非凡な武の才能があるかといえば無い。元々の健康な肉体などおそらく適性はあったと思うが、それは多くの人もあてはまる。私の一番の強みはここまで続けられたこと、継続の力だと思っている。
武道に限らず、技術は研鑽の果てに経験が少しずつ積み上がり、向上していくものだ。間が空けば、感覚を取り戻すのに時間が掛かる。一週間に一回の稽古をほぼ欠かさずに積み上げてきたことが今の私を形作った。自分のことながらよくやったとは思う。過去の稽古を始めたばかりの自分に多くの人の前で横並び五本を斬れるようになるよ、と言っても信じまい。
ただ、そんなことができるとは思ってはいなかったが、稽古を続けていれば自分の実力が高まっていくことは信じていた。はじめはできなかったことがやり続け、助言を受けて考えることで出来ないことができるようになった経験があり、それが続ける原動力になっている。
それは武道以外のことでも変わらないのだと思う。自分が上手くなると信じて、続けること。どうせ無理、と放り出せばそこで終わり。愚直さがきっと道を開く。そう信じて。
4-2.誠斬会の稽古と私の事・・・・・誠斬会町田本部 青木 正徳
昨年令和3年弥生3月、戸山流誠斬会に入会を許されて5年目の春に喜寿を迎えました。そして、現在入会して6年が経ち来年3月には7年目の春を迎えようとしていますが新型コロナウイルスに怯えつつ、ようやく今年の夏より六段斬りの稽古に取り組むことが許され励んでいます。
老いの進み具合と体の活性化が鎬を削っているようで気が抜けません。入会当時を振り返えるとその前年、平成28年7月に大きな手術を行い退院9ケ月の病み上がりのため、模擬刀での素振り稽古でも動きに力がなく不安一杯でした。ましてや真剣での巻き藁斬りなど全く対応出来る状態ではありませんでした。
そこで体力を付けるため約6ケ月間、真剣を使って一振り一振り緊張感の中で左右袈裟の素振りを中心に稽古を続け、体力が戻ったと感じてから初めて巻き藁斬りに挑みました。初めは正しい刃筋が思う通り出来ずまた切先が前に進まず、斬りそこないが多かった小生に何度も何度も根気よくご指導して下さった大先生には心から感謝申し上げる次第です。そして、翌年平成30年の春を迎える頃にはかなり力強い振りで巻き藁を斬ることが出来るようになりました。2年後に喜寿を迎えようとしている小生にとって体力が入院前とほぼ同等に近づいたことの喜びは一言では言い表せません。
靖國神社の由緒・ご祭神を知ってか知らずか、何組もの欧米系外国人家族がおり、目を丸くして武者行列を眺めていました。 彼らの目に我々はどう映っているのでしょうか。
しばらく休んでいたゴルフにも入社同期の連中と出かけ、楽しむことができるようになりました。特に飛距離に関しては入院前より10~15ヤード位伸びたことは驚きであり、大いなる喜びです。誠斬会で日々の稽古を楽しみ、それが体力回復となっていることは感謝に堪えませんが、しかし試し斬りの技がスムーズに達成できて来たわけではなく逆袈裟斬りではスパッと巻き藁を斬れるように成るまで5ケ月を要し、水平斬りでは6ケ月を費やしていますが未だ上手く斬れません。継続は力なりの教えを肝に銘じつつ、「志を持って精進する」をモットーに稽古を重ね今日を迎えております。
稽古の中でご指導を頂いております大先生、師範代、次席の先輩達に感謝申し上げる次第です。ありがとう!、誠斬会。そして、永遠なれ!、誠斬会。
5.令和4年度4月24日:靖国神社奉納演武・・・・安部 満理奈
桜も散り、新緑の春となってきた4月24日に戸山流に入門して3回目の靖国神社奉納演武に参加致しました。今までは試し斬りをしてきましたが、今年度は初めて『軍刀操法』の形を里香さんと一緒に奉納演武させて頂きました。戸山流の形は1本目~8本目まであります。軍刀操法の形は1本目~7本目であり、より実践的なものであり戸山流と足運びや所作が異なります。これまで戸山流の形を練習することはありましたが、軍刀操法についてはあまり練習する機会がありませんでした。今回奉納演武でするにあたり、一生懸命に練習をしました。戸山流の形は右足から踏み出すのに対して、軍刀操法は左足からでしたので、まずはそこから混乱してしまうことが多くありました。また、一人で行う形ではなく里香さんと二人で行うため、お互いの呼吸さえも意識して動きを合わせていくことが難しかったのですが、同時にとても楽しかったです。
本番の奉納演武では、はじめは曇りでしたが徐々に雨が降り始め、雨が降る中の演武となりました。雨の中での演武も風情があり、良いものでした。まずは試し斬りで3段斬りを行い、私にとって初めの軍刀操法の形の番となりました。今まで練習した成果を発揮するように、里香さんと呼吸を合わせ軍刀操法の形の演武を行いました。緊張してしまい、所々間違えてしまいましたが、二人でなんとか最後までやり遂げることができました。今年度の反省を活かして、来年度もまた試し斬りだけでなくもっと呼吸と動きを合わせて軍刀操法の形を演武したいと思いました。先輩方の試し斬りや戸山流の形も素晴らしく、最後まで雨は降っておりましたが、それが逆によい雰囲気を漂わせてとても良い奉納演武でした。
6.第45回戸山流居合道連盟全国大会
6-1.全国大会に思う事・・・・・町田誠斬会 ハリー・カーンス剣士
やっと三年振りに今年第45回全日本戸山流居合道連盟全国大会を実施しました。久し振りということもありとても楽しみにしていました。前回の大会ではどのイベントでも入賞できませんでした。原因は練習不足ということよりも心の弱さだったような気がします。その為三年の間に技と心を鍛えるよう努めました。そして今回の大会で四つの種目に入賞できました。三年前と今回のパフォーマンスを振り返ってみると今回成果を出すことができた理由は二つあると思います。
まずは前回の大会で私は頭の中は相手、審判者、斬り方、自己不信などの雑音で埋め尽くされました。つまり、心を無心にすることができなったのです。ですから前回の失敗をふまえて今回は心を空っぽにするように努めました。前回では気にしていた勝ち負けに拘ることも辞めました。今回は考え過ぎないで稽古で身につけた体が記憶している連続動作に任せました。
もう一つの理由は道場の皆が助け合う稽古のお陰です。今回入賞することができましたが自分の力だけで結果をだしたと考えるのは自惚です。武道は一人では上達できません。なかなか上達しない私への先生と先輩の忍耐強い御指導のお陰でもあり稽古の仲間と助け合ったり教え合ったりした時間の積み重ねのお陰です。
今回結果的に入賞する事ができ、今まで努力してきた事が本番で発揮できた喜びと自信を胸に、これからの稽古へも更に前向きに取り組んで行きたいと思います。
6-2.第45回全国大会について・・・・・町田誠斬会 鈴木 信太郎
去る五月二十二日、コロナ禍により二年間開催を見送られてきた全国大会が開催されました。感染症対策として観光目的での訪日外国人が入国出来なかったこと及び、国内においても遠出を控える風潮が根強いこともあり、参加人数は例年の約半分程にとどまりました。しかし、久しぶりに全国の同士達と顔を合わせることができたことは大変喜ばしく感じられました。
運営においては、久方ぶりの大会のためか後手に回る場面も多くみられ、参加者が少ないことで対応できていたところも散見されました。次の第46回全国大会以降では徐々に国内・海外からの参加者増加も見込まれることから、今大会での反省点を踏まえ、よりスムーズな運営・進行のため整備、強化をする必要があるかと思われます。
実際の大会成績の方はというと、三年ぶりの大会ということもあり、自身を含めて多くの人が慣れない空気に飲まれてしまい、本調子でないような場面が多々見られました。そのような中、最後の団体戦では皆場の空気に慣れて来たのか接戦となるところも多くみられ、特に2枚巻を用いた決勝戦は大いに盛り上がりました。大会のような、いつもと異なる環境でも普段通りの力を発揮するためには、通常の技術的な稽古だけではなく精神面の稽古も重要であると、改めて痛感いたしました。
三年ぶりの開催となるため、実施できたこと自体が喜ばしいことではございますが、心技面の稽古や大会進行の反省点の改善など、より磨き上げていければと思います。最後にはなりますが、今大会を実施できたのもみなさまのお力添えをいただいたおかげであると感じております。次年度以降も引き続きこの大会を盛り上げていくためにも、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
今は、あわただしい年の暮れ、寒い日が続きますのでどうかお体にお気をつけくださいませ。
来年もみなさまと顔を合わせられることを願っております。
6-3.第45回戸山流居合道連盟全国大会 大会成績
・形の部
初段以下
優勝 鈴木 信太郎 (町田誠斬会)
準優勝 安部 満理奈 (町田誠斬会)
三位 土屋 宏樹 (町田誠斬会)
2段・3段
優勝 長野 宏治 (鎌倉誠斬会)
準優勝 ハリー カーンス (町田誠斬会)
三位 アブドゥル タヘル (町田誠斬会)
4段以上
優勝 佐藤 里香 (町田誠斬会)
準優勝 山田 孝一 (相模原相志会)
三位 佐藤 博司 (町田誠斬会)
・試斬の部
初段以下
優勝 伊藤 学 (八王子刀道愛好会)
準優勝 秋葉 玲実 (八王子刀道愛好会)
三位 土屋 宏樹 (町田誠斬会)
2段・3段
優勝 三角 恭平 (鎌倉誠斬会)
準優勝 斎藤 兼 (居合斬法会)
三位 鈴木 信太郎 (町田誠斬会)
4段以上
優勝 浅海 修 (鎌倉誠斬会)
準優勝 小倉 一浩 (相模原相志会)
三位 山田 孝一 (相模原相志会)
・組太刀の部
優勝 佐藤里香 安部満理奈 (町田誠斬会)
準優勝 浅海 修 長野宏治 (鎌倉誠斬会)
三位 後藤 敦 ハリーカーンス(町田誠斬会)
・土壇の部
優勝 三角 恭平 (鎌倉誠斬会)
準優勝 ハリー カーンス (町田誠斬会)
三位 長野 宏治 (鎌倉誠斬会)
四位 斎藤 兼 (居合斬法会)
五位 鈴木 信太郎 (町田誠斬会
・小太刀の部<
優勝 長野 宏治 (鎌倉誠斬会)
準優勝 浅海 修 (鎌倉誠斬会)
三位 三角 恭平 (鎌倉誠斬会)
・撃剣の部
優勝 村木 津三郎 (町田誠斬会)
準優勝 後藤 敦 (町田誠斬会)
三位 酒井 宇 (町田誠斬会)
・団体戦の部
優勝 先方 酒井 宇・中堅 ハリーカーンス・大将 鈴木信太郎 (町田誠斬会)
準優勝 先方 秋葉 玲実・中堅 伊藤 学・大将 吉沢 彰洋(八王子刀道愛好会)
三位 先方 安部 満理奈・中堅 佐藤 里香・大将 佐藤 博司 (町田誠斬会)
7.第3回講習会、昇段審査、撃剣 ・・・・町田誠斬会 土屋ジョー剣士
「継続は力なり」・・・キックボクシング世界チャンピオンの全日本戸山流居合道連盟弐段 土屋ジョー
待ちに待った昇段審査基準解禁の日が来ました。
初段取得後の一年間は、弐段の審査基準のうちの一つである、水平斬りが出来るようにならないといけません。型審査とは違う面があります、藁が斬れない時は、斬るタイミングもフォームも関係なく、斬れないというだけで失格となるわけです。
講習会・・・昇段審査の日にやる講習会では、いつもとは違う先輩に、直接指導をして頂ける機会にもなります。目から鱗の言葉が何度も聴けました。
審査・・・戸山流の型の修練の為に、毎日朝と晩に最低でも1回ずつだけは、型の1~8本目までやり続けています。「継続は力なり」
撃剣・・・これは、私の本丸です。サムライ日本人として、刀で戦うという作業である撃剣の腕を磨けば、80才の老体になっても、どうしても許せない事があったならば、日本刀でならば、まだまだ相手をブチノメス事が出来そうなのです。要するに、年とっても、バッチリ体を張って喧嘩出来るのが、剣術なのです。
講習会、審査、撃剣、、、全ての修練の過程では、総合的な人間形成の場面が多々あります。私の座右の銘に、「継続は力なり」と「覚悟」があります。「継続は力なり」・・・全日本戸山流居合道連盟入会後、たったの二年弱です。キックボクシングは32年間続けていますが、戸山流居合道も「継続は力なり」の精神で、今後もずっと精進していく所存でござる。
8.町田時代まつり
8-1.町田時代まつりに初参加して・・・町田誠斬会 清水剣士
コロナをかいくぐって3年ぶりに町田時代まつりが開催される、流鏑馬をやる?お祭りで演武?市長が鎧兜?観客多数?ずいぶん大掛かりな・・・京都ではなく町田の時代まつりって何?訳も分からず観客の前で演武ができるというだけで初参加を希望してしまいました。
伺ってみると町田市には鎌倉街道が通り、農兵隊などの歴史があるとのことで、これを使って町田市を活性化させようと考えた知恵者がいたのでしょう。一方で町田市に本拠を構える誠斬会、弓馬会が稽古披露の絶好の機会とばかりに全面協力を打ち出し、両者思惑ぴったりで強い絆が出来上がったものと容易に想像できました。
さて、2022年10月23日、第13回町田時代まつりの武者行列がスタート、天気が良すぎて全員汗みどろになりながら引っ張ってきた観客で芹沢会場は膨れ上がり、背面までびっしり取り巻かれました。市民の楽しみを求める気持ちが強かったことをうかがわせます。街中と会場合わせた総観客数は33,000人(市役所発表)とのことです。
なんとまあきらびやかな衣裳でしょう、オイ本物の日本刀で藁斬ってるぜ、流鏑馬だ、全力疾走してる、当たった、ウオー!!観客の顔はみなにこにこで、お祭りは大成功だったと思います。
さて、今13回目の町田時代まつり開催に向けて主催者の情熱と苦悩はすさまじいものがあったのであろうと勝手に想像しています。
不開催が長引き歴史・経験が薄れてしまう恐れを払拭し
コロナ禍で時期尚早の声を疫病退散祈願の祭りだと押切り
安倍元首相の銃撃事件を受けて安全対策、SP配備し
それにつれて膨れ上がる相当な予算を確保しつつ
開催担当者は何かあったら全責任を一身に引き受ける覚悟で強行突破したのではないでしょうか。そしてこの情熱を理解したからこそ誠斬会、弓馬会、義仙会はじめ各参加団体がこれまた大変な準備作業を必死に進めたということでしょう。
クラスターもトラブルもなく本当に、本当に良かった、終わりよければすべてよし。主催者、参加者ともに難所を乗りこえこれで益々人脈・絆が深まり将来につながりました。
皆様本当にご苦労様でした。そして第14回町田時代まつり準備もご苦労様です。
8-2.町田時代祭り2022・・・町田誠斬会 佐藤(博)剣士
町田市の秋の恒例イベント町田時代祭り2022が10月23日(日)に開催されました。当日は快晴の天気に恵まれ、新型コロナ渦での3年ぶりの開催ということもあり大勢の観客で盛況な賑わいでした。
町田市は鎌倉武士に所縁があり、幕末には小野路村に小野路農兵隊が結成され剣術や砲術の訓練がされていたそうです。 町田時代祭りでは当時に思いを馳せ坂東武者や農兵隊を再現した武者行列が市街地から会場の芹が谷公園まで練り歩きます。全日本戸山流居合道連盟も抜刀隊として武者行列に参加しています(写真1)コロナによる入国規制が緩和されたこともあり香港支部からも4名の参加がありました(写真2)。
武者行列が会場の芹ヶ谷公園に着くと、開会式、砲術、古武術、居合抜刀の演武と流鏑馬が行われました。全日本戸山流居合道連盟は、居合抜刀演武で、香港支部からの参加2名を含む15名が2か所(一の的、二の的)に別れて日頃の稽古で鍛えた技を披露しました。
居合抜刀演武は、全日本戸山流居合道連盟理事 日置嘉龍による四方斬りに始まり、基本技の左右袈裟斬り、三段斬り、四段斬り、六段斬り、業斬りとなる燕返し、稲妻、逆稲妻、波返し、達磨落とし、蜻蛉、川蝉、風車、力技となる横並び5本、太巻き(5枚巻き)でした。四方斬りとは東西南北、四方向の魔を斬り払う儀式です(写真3)。
次から技斬りの演武になります。逆稲妻斬りは、逆袈裟に斬り上げ、連続して袈裟、逆袈裟と斬り上げますが、村木剣士は初めの逆袈裟を抜き打ちで斬り上げています。
最後は、力技の横並び(5本)と太巻き(5枚)です。両剣士ともに見事な刃筋で斬っています(写真14、写真15)。
いずれも日頃の稽古で鍛えた技量を存分に発揮した見事な斬りを披露していました。来年の町田時代祭りでは海外支部からの参加者もさらに増えると思われますので、今年以上に盛大なイベントになることが期待されます。各剣士も来年の演武に向けてさらに技に磨きをかけるべく日頃の稽古に励むことでしょう。
8-3.町田時代祭りに参加して・・・・戸山流弓馬会 本田 高義
3年振りに開催された町田時代祭りの流鏑馬に射手として参加させていただきました。時代祭りは、3年振りですが、私にとっては4年振りの射手としての参加でした。私は、2018年10月の赤城神社奉納流鏑馬で初陣、同月の町田時代祭りで2回目参加した後、交通事故で怪我をし、その後は諸役としての参加でした。
その後、新型コロナウィルスの蔓延により3年間中止となっていました。私は、4年振りという不安もありましたが、更に不安だったのが、今まで2回の流鏑馬に射手としての参加は、当弓馬会で所有し、毎回稽古をし、最も初心者にも適している乗りやすい剣宝号でした。今回は、全く初めて乗る馬で、当日の朝に乗る馬が決まります。私は、剣宝号以外の馬で射手としての参加は初めてですので、初陣の時以上に緊張しました。 先輩方は、毎回このように初めての馬流鏑馬を行なっていることに、敬意を表します。いざ当日となり、パレードに参加して会場に戻ると、会場には沢山のお客様が来ていただいており、驚くばかりでした。
流鏑馬が、始まり1の組が終わり私が出る2の組の本番が始まりました。私は、初陣の時以上に緊張していました。的を射ることよりも、落馬して雰囲気を壊すことのないように、精神を集中して本番に臨みました。結果は、決勝には残れませんでしたが、落馬することなく本番を終えられたことに、安堵しました。
私は、これから何歳まで流鏑馬を続けていけるか分かりませんが、最も記憶に残る流鏑馬であったと思います。そして、今後も稽古に励んでいこうと思っています。
9.流鏑馬女子部合宿・・・・戸山流弓馬会 坂本 浩子
弓馬会の坂本と申します。弓馬会では女性会員を中心に、毎年お楽しみ乗馬旅行を計画しています。今年は千葉県九十九里浜に行ってまいりました。
乗馬クラブの外を馬でトレッキングすることを外乗(がいじょう)と申します。私たちは普段、直線の走路を走りながら弓を射る稽古をしていますが、森や川、広い草原など、雄大な自然を楽しみながら走ることができるのが外乗の醍醐味です。今回の舞台は九十九里浜ということで、 どこまでも続く海外線を暴れん坊将軍さながらに走り抜けることができました。
実は馬というのは犬と同じように品種がたくさんあり、世界には実に250種類以上の種類の馬がいると言われています。弓馬会では現在、和種馬(在来馬)と呼ばれる日本固有の馬を使って流鏑馬の稽古を行っています。
今回お世話になった乗馬クラブでは、クォーターホースというアメリカ産の品種を中心に乗馬を行っているそうです。和種馬とサラブレッドの中間くらいの大きさで、大変乗りやすかったです。楽しい海岸騎乗のあとは、おいしい浜焼きで来年に向けた英気を養いました。
一泊二日の旅行の間には、成田山にも行ってまいりました。成田山新勝寺にお参りし、来年の流鏑馬の成功と、馬たちの健康を祈願しました。また、新勝寺の参道には半弓の道場があり、今回の旅行では矢を射ることと、馬に乗ることの両方を楽しむことができてしまいました。半弓といっても、普通の和弓の三分の二程度の長さで、椅子に座って射るので、なんだか流鏑馬の練習をしているようです。普段の稽古とは違った雰囲気で、みんなで当たった当たったと、わいわい大盛り上がりでした。
今年は、皆様のご協力をいただきながら、3年ぶりに町田時代まつりで流鏑馬を披露させていただくことができました。流鏑馬は無病息災を祈ってご奉納されるものでもあります。コロナを始めとした様々な災厄を打ち払えるよう、今後も鍛錬を続けていきたいと思います。
10.海外支部活動
10-1.アメリカ ボブエルダー追悼式・・・・鎌倉誠斬会 浅海 修
昨年の暮れに突然亡くなられたボブ・エルダー氏のお別れ会が今年4月3日にフロリダで行われました。お別れ会はコロナ禍による渡航時の隔離規制が解除され、籏谷先生が出席できる状況になるのを待って計画されました。
2022年3月31日に日本を経ち4月2日には戸山流の講習・昇段審査も行い、4日にフロリダを発つと云う弾丸スケジュールに私もお供させていただきました。
私がボブ氏の事を知ったのは、日置先生の道場に入門したての頃、今から14年前の事です。戸山流の形を勉強しなさいと渡されたCDにアメリカ西海岸で開催された全米の武道大会の場で、スキンヘッドに白い顎髭姿で戸山流形八本の演武を行なう氏の姿がありました。日置先生からは氏の形演武は動きが大きく伸びやかで癖のない正統派の演武なので参考にしなさいと言われたのを憶えています。
しかしその後、氏に御目にかかる機会もなく、漸く2020年にアメリカ講習会にお供した際に初めてお会いする事ができました。物静かで非常に穏やかな方だという印象でしたが、それが最初で最後になってしまいました。ボブ氏の事を殆ど何も知らない私の様な者が氏の追悼に関わる記事を書くのははなはだおこがまし事の様に思います。
お別れ会の前日には戸山流講習会が行われ52名の参加があり、昇段審査にも22名受験がありました。3日のお別れ会はフロリダ、ニューヨークなど全米から戸山流のみならず様々な武道関係の方や友人・知人の方など、200名以上の方々が参列され、トム・スミス氏の司会元に多くの方が氏を偲ぶスピーチをされ、籏谷先生のスピーチに続いてボブ氏には戸山流八段範士が追贈されました。
続いてボブ氏の遺言だそうですが、氏の遺骨の灰を溶かした水に漬けた藁を使って参加者が試斬演武を行いました。自由の国アメリカの武道家に相応しいお別れの企画だったと思います。
最後にバグパイプが演奏され、ボブ氏を送ることになりました。バグパイプは氏のルーツのスコットランドに関わる物だそうです。 ご冥福をお祈りします。
10-2.香港 講習会・・・・籏谷 嘉辰
久しぶりの香港
三年ぶりに香港を訪れました。久しぶりに稽古かと思いきや日本刀の話を聞きたいとの要望で刀全般の話を質疑応答形式で行いました。
場所は梁ちゃんの新しい道場で誠斬会道場の倍ぐらいの広さです。門人が増え広いところに移ったそうです。久しぶりなので香港の四支部が集まり熱気が伝わります。新しい会員さんも増え初めて会う人もたくさんいました。又、若い男女が多くうらやましい限りです。
二時間の時間でたくさんの質問をいただき熱心さが伝わってきます。日本文化は香港に確実に伝わっていきます。最後の方に審判員の教育の要請を頼まれました。
考えてみると日本に頻繁に来ている数人は日本の審判講習会に出席をしていてそれなりの資格を取得しているのですが香港の人たち全般には講習会をしていないので来年から開くことにいたします。
撃剣も女子や若い人に人気があり沢山の人が稽古をしているのですが昇段審査を未だ一度も開いておらず十年選手も未だ無段なので講習会、昇段審査を行うことになりました。滞在が一日の短い時間に久しぶりなので飲茶に行き食べきれないほどの広東料理をごちそうになり堪能いたしました。
来年は年末ごろに香港大会を開催したいと相談を受けましたのでその頃はコロナ騒ぎも大分落ち着いていると思われるので沢山の日本人の参加をお願いします。
籏谷嘉辰
10-3.ベトナム 視察記・・・・住田 嘉興
令和4年12月16日~19日までベトナムのハノイにベトナム支部設立の視察に行ってきました。
ベトナムで戸山流を拡げたいと籏谷先生に連絡があり、ベトナム軍の中将でハノイ空港の施設長・空港警察長・税関長のランさんという方からの要請でした。今回の視察は7名のグループになりました。籏谷先生・長谷川さん・香港の梁さん・刀剣商の方2名・籏谷先生の旧友の方・住田の7名です。籏谷先生と梁さんは香港から、長谷川さん・刀剣商お一人・住田は成田から、もう一人の刀剣商の方は関空から、先生のご友人はフィリピンからハノイに集合します。
成田から約7時間でハノイに到着、壁一面のモザイクアートが出迎えてくれました。
この後、入国審査なのですが、「さすが中将・空港施設長」と思わせることがありました。入国審査に大勢の人が並んでいましたが、ランさんの一言で外交官用の窓口に連れて行かれ、少し待ったものの大幅に時間短縮して入国できました。なかなか日本ではあり得ないことです。
しかし、ランさんの影響力は航空会社は及ばないらしく、荷物の受け取りに2時間かかりました。。。
ハノイ空港の到着フロアです。
ホテルに向かう途中に大きな橋がありました。これは日本が援助して作った橋で、英語の話せないタクシーの運転手も「ジャパン・ジャパン」と言っていました。日本にいるとわかりませんが、日本国は世界各国で様々な協力をしていて、現地の人々に感謝されています。とても誇らしく思え、国際貢献の重要性を痛感した場面です。
何とかホテルに到着できました。と言いますもの、ここまで来るまでに肝が大いに冷えました。道路は広いのですが、車線があるのかないのか認識できず、道路の中央を走っていたり、ウィンカーを出さずに車線変更をするし、されるしで車がぶつかりそうになったり、バイクが多く、我先に隙間に入って来て当たりそうになるわ、それぞれがクラクションを鳴らしており、誰が誰にクラクションを鳴らしていのかわからず、とにかくやかましい、そんな第一印象でした。ちなみに片道4車線の大通りの真ん中を自転車が逆走をしていました。なかなか日本では見れない光景でした。
宿泊したホテルは4つ星のハノイホテルです。
エントランス前からの景色です。
初日は夜に到着したので2日目午前中は観光になりました。ここは昔の要塞です。
次にベトナム戦争博物館に行きました。これは残骸を集めてモニュメントにしています。
この戦車は大統領府に最初に突撃した戦車、とのことです。
こどもの頃から自国の歴史を教えています。日本も自虐史観を改めて、ぜひ見習って欲しいです。
市内散策をしました。
二日目午後からは会場の下見と備品の確認です。外国に行くといつも感じるのですが、我々は恵まれています。既にちゃんとした備品があり、何の疑問もなく使っています。以下は斬り台の写真ですが、木を張り合わせて作っています。多分、写真を見て自分たちで作ったものです。しかし中が空洞のためとても軽くてグラグラです。また、心棒は蓋と一体化されており、心棒を斬ってしまった時は蓋ごと替えなければなりません。
台を支える4本の板は水平が取れていないので、重さもないためさらにグラグラです。メンバーに工作機械を持っている人がいたので明日までに修正してもらうよう頼みました。何度も言いますが、外国のメンバーは苦労しながら見様見真似で戸山流を習おうとしています。何とか力になってあげたいといつも思います。
備品の修正が終わり、地元のレストランで乾杯です。いよいよ明日はセミナーです。
午前中は刀の基本的な扱い方と戸山流の形のセミナーを行いました。
午後は試し斬りの演武です。ベトナムの国営放送の取材がありました。
ランさんが籏谷先生の羽織を着て記念撮影です。
籏谷先生にお花の贈呈です。
籏谷先生からはお店のカレンダー、試し斬り用の刀の贈呈がありました。
セミナーの後はベトナムの会員の自宅で手料理を頂きました。中央右のチェック柄の方、タムさんがホストです。 彼は自家製のビールを製造販売しており、数種類の銘柄を持っています。それぞれを頂きましたが全て美味でした!また手作りの料理はレストランで食べた料理よりもおいしかったです。特に牛肉のミルク煮込みは、お肉がホロホロで食べると溶けました。
今回の視察で改めて気付かされたことは、日本にいては知るべくもないことが外国には多々ある、ということです。アメリカ・香港・スペインは既に訪問しており、文化や風習はある程度理解しています。が、今回初めて東南アジアのベトナムを訪問して、今までに経験していない文化や風習があると改めて気付かされました。
もちろんまだまだ訪問していない国・地域が多々あります。我々の知らないところで熱心に戸山流を学んでいる人々がいます。そしてその皆さんは日本からの指導を熱望しています。外国に指導に行くと痛感しますが、外国人は日本人よりも熱心と感じます。その期待に応じるべく、我々は研鑽を積まなければならいと思います。結果として戸山流の底上げになり、かつ国際貢献に繋がります。
皆さんの笑顔を見て下さい。戸山流の可能性は無限大と感じました。
11.武学拾粋
11-1.頬当之事
顔に前面にかける物を頬当と言う。
鉄面具である。または面頬とも言う。
目下にかけるのを目下頬あてと言う。現今の頬当てがこれである。また半頬、猿頬、燕形、があり、これらに付属する物に喉輪、周輪 (くるわ)、涎掛け、等があり平士は頬当の鼻を取り外して猿頬兼ねたのを持ちるべきである。
できれば古作の方が良い。新作は所々、顔に当たり、忍ノ緒の締り具合もよろしくない。表面は黒塗りにして裏面には馬の皮をあて朱塗りにするとよい。
緒便の金(または緒搦とも言う)は忍ノ緒を絡めるためのものである。太刀除のあるのを好む者もあるが格別利用価値の高いものではない。太刀除のある時は下頬に二か所ついているのが良い。無ければ耳脇に折れ釘か環をつけるべきである。
髪懸、別名懸緒は縮緬や麻布を幅一尺または七、八分に折り返して用いる。長さはかぶって丁度良い長さにするがよい。
又、両紐にして結ぶようにしたのも良いと言うけれども紐を二筋掛けたのにこしたことはない。
簾下は五段にして素懸にすべきである。周輪を仕つけた物もあるがよろしくない。
11-2.函之事
胴は着用する人の体格に対応するので一定ではない。
軽量は本人の健康や体力の度合いによる。
また、長短は胴の脇下の三か所を計り、幅の広さは肩上と腰とで計る。
これを乳縄と言う。しかしながら長期の陣営では、体が痩せ肩がひけてくるものであるから、少し短く狭いものが益があるともいわれる。胴の製作は前に論じたとおりである。
もっとも仏胴、縫延、桶箇輪、雪の下胴など、戦闘の激しかった戦国の作に従うが良い。
胴の前にれんさいの鐶を明けたものがあり、具足を軽く着るためにもうけたものだが、特別に利用されるものでもないので、用いなくても良い。
胴尻をホッテと言う。昔はくくる事はなかった。近世はくくっておくべきおくのである。
会当離(かったり)の背板はよくない。鉄で造るべきである。
請筒の先へ水抜きの穴を開けておくべきである。
通しの緒の長さは三尺余り。
琴の糸ほどの紐を付けておく、用法は帯甲の條の下に出す。
責め鞐(こはぜ)は銅や真鍮の類はよろしくない。水牛や鯨、鹿の角等で造るべきである。鼻紙袋は胴前左側に、皮や毛織の類でつけておく、かぶせ蓋はボタン懸けにしておくべきである。